トットちゃん

●これは、第二次世界大戦が終わる、ちょっと前まで、実際に東京にあった小学校と、そこに、ほんとうに通っていた女の子のことを書いたお話です。

はじめての駅

自由が丘の駅で、大井町線から降りると、ママは、トットちゃんの手をひっぱって、改札口を出ようとした。トットちゃんは、それまで、あまり電車に乗ったことがなかったから、大切に握っていた切符をあげちゃうのは、もったいないなと思った。そこで、改札口のおじさんに、

「この切符、もらっちゃいけない?」

と聞いた。おじさんは、

「ダメだよ」

というと、トットちゃんの手から、切符を取りあげた。トットちゃんは、改札口の箱にいっぱい溜っている切符をさして聞いた。

「これ、全部、おじさんの?」

おじさんは、他の出て行く人の切符をひったくりながら答えた。

「おじさんのじゃないよ、駅のだから」

「ヘーえ・・・・・・」

トットちゃんは、未練がましく、箱をのぞきこみながらいった。

「私、大人になったら、切符を売る人になろうと思うわ」

おじさんは、はじめて、トットちゃんをチラリと見て、いった。

「うちの男の子も、駅で働きたいって、いってるから、一緒にやるといいよ」

トットちゃんは、少し離れて、おじさんを見た。おじさんは肥っていて、眼鏡をかけていて、よく見ると、やさしそうなところもあった。

「ふん・・・・・・」

トットちゃんは、手を腰にあてて、観察しながらいった。

「おじさんとこの子と、一緒にやってもいいけど、考えとくわ。あたし、これから新しい学校に行くんで、忙しいから」

そういうと、トットちゃんは、待ってるママのところに走っていった。そして、こう叫んだ。

「私、切符屋さんになろうと思うんだ!」

ママは、おどろきもしないで、いった。

「でも、スパイになるっていってたのは、どうするの?」

トットちゃんは、ママに手をとられて歩き出しながら、考えた。(そうだわ。昨日までは、絶対にスパイになろう、って決めてたのに。でも、いまの切符をいっぱい箱にしまっておく人になるのも、とても、いいと思うわ)

「そうだ!!」

トットちゃんは、いいことを思いついて、ママの顔をのぞきながら、大声をはりあげていった。

「ねえ、本当はスパイなんだけど、切符屋さんなのは、どう?」

ママは答えなかった。本当のことをいうと、ママはとても不安だったのだ。もし、これから行く小学校で、トットちゃんのことを、あずかってくれなかったら・・・・・・。小さい花のついた、フェルトの帽子をかぶっている、ママの、きれいな顔が、少しまじめになった。そして、道をとびはねながら、なにかを早口でしゃべってるトットちゃんを見た。トットちゃんは、ママの心配を知らなかったから、顔があうと、うれしそうに笑っていった。

「ねえ、私、やっぱり、どっちもやめて、チンドン屋さんになる!!」

ママは、多少、絶望的な気分でいった。

「さあ、遅れるわ。校長先生が待ってらっしゃるんだから。もう、おしゃべりしないで、前を向いて、歩いてちょうだい」

二人の目の前に、小さい学校の門が見えてきた。

窓ぎわのトットちゃん

新しい学校の門をくぐる前に、トットちゃんのママが、なぜ不安なのかを説明すると、それはトットちゃんが、小学校一年なのにかかわらず、すでに学校を退学になったからだった。一年生で!!

つい先週のことだった。ママはトットちゃんの担任の先生に呼ばれて、はっきり、こういわれた。

「おたくのお嬢さんがいると、クラス中の迷惑になります。よその学校にお連れください!」

若くて美しい女の先生は、ため息をつきながら、くり返した。

「本当に困ってるんです!」

ママはびっくりした。(一体、どんなことを・・・・・・。クラス中の迷惑になる、どんなことを、あの子がするんだろうか・・・・・・)

先生は、カールしたまつ毛をパチパチさせ、パーマのかかった短い内巻の毛を手でなでながら説明にとりかかった。

「まず、授業中に、机のフタを、百ぺんくらい、開けたり閉めたりするんです。そこで私が、『用事がないのに、開けたり閉めたりしてはいけません』と申しますと、おたくのお嬢さんは、ノートから、筆箱、教科書、全部を机の中にしまってしまって、ひとつひとつ取り出すんです。例えば、書き取りをするとしますね。するとお嬢さんは、まずフタを開けて、ノートを取り出した、と思うが早いか、パタン!とフタを閉めてしまいます。そして、すぐにまた開けて頭を中につっこんで筆箱から”ア”を書くための鉛筆を出すと、いそいで閉めて、”ァ”を書きます。ところが、うまく書けなかったり、間違えたりしますね。そうすると、フタを開けて、また頭をつっこんで、ケシゴムを出し、閉めると、いそいでケシゴムを使い、次に、すごい早さで開けて、ケシゴムをしまって、フタを閉めてしまいます。で、すぐ、また開けるので見てますと、”ア”ひとつだけ書いて、道具をひとつひとつ、全部しまうんです。鉛筆をしまい、閉めて、また開けてノートをしまい・・・・・・というふうに。そして、次の”イ”のときに、また、ノートから始まって、鉛筆、ケシゴム・・・・・・そのたびに、私の目の前で、目まぐるしく、机のフタが聞いたり閉まったり。私、目がまわるんです。でも、一応、用事があるんですから、『いけない』とは申せませんけど・・・・・・」

先生のまつ毛が、そのときを思い出したように、パチパチと早くなった。

そこまで聞いて、ママには、トットちゃんが、なんて、学校の机を、そんなに開けたり閉めたりするのか、ちょっとわかった。というのは、初めて学校に行って帰ってきた日に、トットちゃんが、ひどく興奮して、こうママに報告したことを思い出したからだった。『ねえ、学校って、すごいの。家の机の引き出しは、こんな風に、ひっぱるのだけど、学校のはフタが上にあがるの。ごみ箱のフタと同しなんだけど、もっとツルツルで、いろんなものが、しまえて、とってもいいんだ!』

ママには、今まで見たことのない机の前で、トットちゃんが面白がって、開けたり閉めたりしてる様子が目に見えるようだつた。そして、それは、(そんなに悪いことではないし、第一、だんだん馴れてくれば、そんなに開けたり閉めたりしなくなるだろう)と考えたけど、先生には、

「よく注意しますから」

といった。

ところが、先生は、それまでの調子より声をもう少し高くして、こういった。

「それだけなら、よろしいんですけど!」

ママは、少し身がちぢむような気がした。先生は、体をすこし前にのり出すといった。

「机で音を立ててないな、と思うと、今度は、授業中、立ってるんです。ずーっと!」

ママは、またびっくりしたので聞いた。

「立ってるって、どこにでございましょうか?」

先生は少し怒った風にいった。

「教室の窓のところです!」

ママは、わけがわからないので、続けて質問した。

「窓のところで、なにをしてるんでしょうか?」

先生は、半分、叫ぶような声でいった。

「チンドン屋を呼びこむためです!!」

先生の話を、まとめて見ると、こういうことになるらしかった。

一時間目に、机のパタパタを、かなりやると、それ以後は、机を離れて、窓のところに立って外を見ている。そこで、静かにしていてくれるのなら、立っててもいい、と先生が思った矢先に突然、トットちゃんは、大きい声で、「チンドン屋さーん」と外にむかって叫んだ。だいたい、この教室の窓というのが、トットちゃんにとっては幸福なことに、先生にとっては不幸なことに、一階にあり、しかも通りは目の前だった。そして境といえば、低い、いけ垣があるだけだったから、卜ッ卜ちゃんは、簡単に、通りを歩いてる人と、話が出来るわけだったのだ。さて、通りかかったチンドン屋さんは、呼ばれたから教室の下まで来る。するとトットちゃんは、うれしそうに、クラス中のみんなに呼びかけた。「来たわよ―」。勉強してたクラス中の子供は、全員、その声で窓のところに、つめかけて、口々に叫ぶ。「チンドン屋さーん」。すると、トットちゃんは、チンドン屋さんに頼む。

「ねえ、ちょっとだけ、やってみて?」

学校のそばを通るときは、音をおさえめにしているチンドン屋さんも、せっかくの頼みだからというので盛大に始める。クラリネットや鉦やタイコや、三味線で。その間、先生がどうしてるか、といえば、一段落つくまで、ひとり教壇で、じ―っと待ってるしかない。(この一曲が終わるまでの辛抱なんだから)と自分にいいきかせながら。

さて、一曲終わると、チンドン屋さんは去って行き、生徒たちは、それぞれの席にもどる。ところが、驚いたことに、トットちゃんは、窓のところから動かない。「どうして、まだ、そこにいるのですか?」という先生の問いに、トットちゃんは、大まじめに答えた。

「だって、また違うチンドン屋さんが来たら、お話しなきゃならないし。それから、さっきのチンドン屋さんが、また、もどってきたら、大変だからです」

「これじゃ、授業にならない、ということが、おわかりでしょう?」

話してるうちに、先生は、かなり感情的になってきて、ママにいった。ママは、(なるほど、これでは先生も、お困りだわ)と思いかけた。とたん、先生は、また一段と大きな声で、こういった。

「それに・・・・・・」

ママはびっくりしながらも、なさけない思いで先生に聞いた。

「まだ、あるんでございましょうか・・・・・・」

先生は、すぐいった。

「”まだ”というように、数えられるくらいなら、こうやって、やめていただきたい、とお願いはいたしません!!」

それから先生は、少し息をしずめて、ママの顔を見ていった。

「昨日のことですが、例によって、窓のところに立っているので、またチンドン屋だと思って授業をしておりましたら、これが、また大きな声で、いきなり、『なにしてるの?』と、誰かに、何かを聞いているんですね。相手は、私のほうから見えませんので、誰だろう、と思っておりますと、また大きな声で、『ねえ、なにしてるの?』って。それも、今度は、通りにでなく、上のほうにむかって聞いてるんです。私も気になりまして、相手の返事が聞こえるかしら、と耳をすましてみましたが、返事がないんです。お嬢さんは、それでも、さかんに、『ねえ、なにしてるの?』を続けるので、授業にもさしさわりがあるので、窓のところに行って、お嬢さんの話しかけてる相手が誰なのか、見てみようと思いました。窓から顔、を出して上を見ましたら、なんと、つばめが、教室の屋根の下に、巣を作っているんです。その、つばめに聞いてるんですね。そりゃ私も、子供の気持ちが、わからないわけじゃありませんから、つばめに聞いてることを、馬鹿げている、とは申しません。でも、授業中に、あんな声で、つばめに、『なにをしてるのか?』と聞かなくてもいいと、私は思うんです」

そして先生は、ママが、一体なんとおわびをしよう、と口を開きかけたのより、早くいった。

「それから、こういうこともございました。初めての図画の時間のことですが、国旗を描いてごらんなさい、と私が申しましたら、他の子は、画用紙に、ちゃんと日の丸を描いたんですが、おたくのお嬢さんは、朝日新聞の模様のような、軍艦旗、を描き始めました。それなら、それでいい、と思ってましたら、突然、旗のまわりに、ふさを、つけ始めたんです。ふさ。よく青年団とか、そういった旗についてます、あの、ふさです。で、それも、まあ、どこかで見たのだろうから、と思っておりました。ところが、ちょっと目を離したスキに、まあ、黄色のふさを、机にまで、どんどん描いちゃってるんです。だいたい画用紙に、ほぼ一杯に旗を描いたんですから、ふさの余裕は、もともと、あまり無かったんですが、それに、黄色のクレヨンで、ゴシゴシふさを描いたんですね。それが、はみ出しちゃって、画用紙をどかしたら、机に、ひどい黄色のギザギザが残ってしまって、ふいても、こすっても、とれません。まあ、幸いなことは、ギザギザが三方向だけだった、ってことでしょうか?」

ママは、ちぢこまりながらも、いそいで質問した。

「三方向っていうのは・・・・・・」

先生は、そろそろ疲れてきた、という様子だったが、それでも親切にいった。

「旗竿を左はじに描きましたから、旗のギザギザは、三方だけだったんでございます」

ママは、少し助かった、と思って、

「はあ、それで三方だけ・・・・・・」

といった。すると、先生は、次に、とっても、ゆっくりの口調で、ひとことずつ区切って、いった。

「ただし、そのかわり、旗竿のはじが、やはり、机に、はみ出して、残っております!!」

それから先生は立ちあがると、かなり冷たい感じで、とどめをさすようにいった。

「それと、迷惑しているのは、私だけではございません。隣の一年生の受持ちの先生もお困りのことが、あるそうですから・・・・・・」

ママは、決心しないわけには、いかなかった。(たしかに、これじゃ、他の生徒さんに、ご迷惑すぎる。どこか、他の学校を探して、移したほうが、よさそうだ。なんとか、あの子の性格がわかっていただけで、みんなと一緒にやっていくことを教えてくださるような学校に・・・・・・)

そうして、ママが、あっちこっち、かけずりまわって見つけたのが、これから行こうとしている学校、というわけだったのだ。

ママは、この退学のことを、トットちゃんに話していなかった。話しても、なにがいけなかったのか、わからないだろうし、また、そんなことで、卜ッ卜ちゃんが、コンプレックスを持つも、よくないと思ったから、(いつか、大きくなったら、話しましょう)と、さめていた。ただ、トットちゃんには、こういった。

「新しい学校に行ってみない?いい学校だって話よ」

トットちゃんは、少し考えてから、いった。

「行くけど・・・・・・」

ママは、(この子は、いま何を考えてるのだろうか)と思った。(うすうす、退学のこと、気がついていたんだろうか・・・・・・)

次の瞬間、トットちゃんは、ママの腕の中に、とびこんで来て、いった。

「ねえ、今度の学校に、いいチンドン屋さん、来るかな?」

とにかく、そんなわけで、トツトちゃんとママは、新しい学校にむかって、歩いているのだった。

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